1990-06-21 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第16号
私は、これは時代を越えて必要なのだ、過去の例を見ても、例えば凶作が四年も続いた昭和五十五年からの例を引いて、そのときでも買い占めも売り惜しみもなかった、価格がほとんど安定していたというのはこの制度のおかげなんだ、これから先、食糧飢饉が起きないという保証はないんだということなどもるる話しました。
私は、これは時代を越えて必要なのだ、過去の例を見ても、例えば凶作が四年も続いた昭和五十五年からの例を引いて、そのときでも買い占めも売り惜しみもなかった、価格がほとんど安定していたというのはこの制度のおかげなんだ、これから先、食糧飢饉が起きないという保証はないんだということなどもるる話しました。
それは国際的に非常に食糧飢饉の国がある、ソ連を初めとして、どうしても輸出しなければならない面があった、アメリカはそれを人道的、こう言って、それを優先して、長年の顧客である日本に対して出さなかった事実があるのですね。だから日本としてはある程度の農産物の生産をしていかざるを得ないのだということを強く主張した場面がございます。
そのために、私の方から、さてどのくらいでできるかということに対しましてのお答えは、非常に苦しいのでございますが、ただ、参考的に一つ申し上げますと、現在、日本で持ち扱いに困っておる古々米でございますが、この古々米が、伝え聞きますところ、六百八十万トンも在庫して、全国の農協倉庫が本当に困っておるということなんですが、これを食糧飢饉、食糧不足の中近東方面へ輸出しておられて、この輸出代金が一トン四万九千六百円
落としたそうでございまして、カンボジアの国民が打ち続く戦禍で食糧飢饉と医療品に非常に悩んでおって、想像以上な悲惨な状態にあることは御承知のとおりであります。その中にあって、ポル・ポト、ヘン・サムリン両方がお互いにやっておるわけでありますけれども、率直にわが方から言えば、ヘン・サムリン政権というのは、都市は占領しておるが、人民の掌握はほとんどない。
そして、現在人類が困っている食糧飢饉あるいは飢餓というものは、決して人口増加や異常気象による自然現象ではないということを宣言したところに意味があるのですよ。わが国政府代表は一体何をしに行ったか。前文に書いてあるじゃないか。
しかも、米を食う地域は、世界で一番極端な食糧飢饉状態でしょう。飢餓状態でしょう。そういうふうに有無相通ずるというか物を回して使うというようなことも、政府であるならば、もう少し知恵を出してやってもいいじゃないですか。日本の水田というものは、世界で一番単位面積当たり穀物カロリーの生産される土地なんです。
ただ、一方におきまして、インドの干ばつとか、それからパキスタンの大洪水による食糧飢饉というようなものが新たに起こってまいっておりますが、これは去年のソ連等の大量買い付けに比べれば規模は少ないというようなことで、量的にはかなり需給が是正されてくるのではないかという期待を持っております。
○田中内閣総理大臣 一国の問題ではなく、世界的食糧飢饉という現状に徴しまして、やはりほんとうにライスバンクのような制度とか食糧基金とか、これは全人類的な問題として考えなければならない問題であろう、こう考えております。
最近西アフリカにおきます、チャドとかダホメとかアッパーボルタとか、ああいう地方の悲惨な水飢饉、食糧飢饉の状況、五百万人の人類が飢饉のために死滅するかもしれない、あるいは四百万頭の家畜が飢え死にするかもしれない、そういう状況を見るにつけましても、やはり農業というものの持つ偉大なる役割りというものをこの際またかみしめなければならぬ。
干ばつの被害というものは、だんだんだんだん時がたてばたつほどじり貧におちいりまして、ことしよりはむしろ来年食糧飢饉といったたいへんな、沖繩では餓死の世の中と言うておるわけでありますが、そういうふうに、たとえば干ばつが長く続けばその間に食糧の植えつけができない、植えつけができないものだから来年は食糧飢饉になる、こういう形で、だんだん今度の被害は来年に、二月からあとにだんだんあらわれて、具体的にあらわれてくるわけであります
第二次世界大戦のときにアイゼンハワーが、ベルリンが水飢饉、食糧飢饉に襲われたときに、ソ連との交渉をあと回しにして、空中からどんどんどんどん水から食糧を空輸してベルリン二百万市民を助けましたね。私はこれが政治だと思う。だから、政治家と行政官は違います。
まず私は、ガリオア物資代の問題についてお伺いをいたしたいのでございますが、このガリオア物資につきましては、大臣も御存じのとおり、あの敗戦時における日本住民の食糧飢饉をカバーするために、主としてアメリカ軍から支給をされたものでございます。あるいはその他奄美の地域住民に対しまして、農業の振興であるとか、そういう問題で、機械等も貸与されておったようでございます。
それがインドの食糧飢饉であり、東南アジアの貧困であります。そこで、おそらく日本は、ここかなりの問自給体制をとらない限り、健全なる経済発展は私はないと思っております。現在はどうか、決して余っておりません。先ほど申し上げましたとおりに、麦を考えれば約四百万トン近い不足をして、それを輸入に相まっております。 そこで、私はこの際ひとつ触れておきたいと思いますが、持ち越し米、古米が多い多いという議論です。
ことにそのために、干ばつとかいろいろな自然の悪条件に出っくわしたところに食糧飢饉が起こる。インドの一昨年の例などもそうであります。そういうときに、やはりみなが寄り合って、相談し合って、そうしてその事態に応じて各国が食糧援助をして、その食糧の飢饉に対処しておる、こういう不安定な形で食糧の援助が行なわれておる。
しかし現状と将来は、世界的に特に開発途上国等におきましての、食糧飢饉は、インドあるいはインドネシア等ここ二、三年なお継続いたしておりますし、インドのごときは八百万も去年餓死に瀕する者が出たような実情でございますので、こういう時代でもございまするから、特に国連の報告によりますと、紀元二〇〇〇年には世界の人口は倍になるとか、倍というと六十六億ですかというような国連の報告さえございますが、食糧と人間の増加
先般も、日本へアメリカのロストウ氏が参りまして、インドの食糧飢饉を助けようではないかというので、これはほかの西欧の先進国がまだどこも決定していないときに、ほとんど即座といってもいいくらいの早さで、日本が七百万ドルの援助を決定いたしたのであります。
○国務大臣(三木武夫君) ロストフというアメリカの大統領の代理が参りまして、インドの食糧飢饉に対しては国際的な協力を必要とする、日本に対しても協力してほしいという要請がございます。
それは、たとえばインドの食糧飢饉というような場合に援助してあげるとか、あるいはどこかに大きな地震があったというようなときには援助するとか、こういうこと。第二は政治的な目的による援助だと思います。
そうしますと、やはり一番先に考えるのは、戦争中あるいは戦後、食糧飢饉に遭遇したときに、たとえ幾らかの土地でも持っておれば、いわゆる生きることは可能である、こういう心理状態、それから、これは先祖から授かった土地であるから、どのようなかっこうになっても、これはずっと孫子の代まで継承したい、そういうような、まあこれは感傷的な考え方かもしれませんけれども、そういう者がおるということ、それから、これは一部の例
○三木国務大臣 インドの食糧飢饉というものは、非常に深刻なものがある。政府としても当然にこれに対して援助の手を差し伸べようという方針のもとに、具体的な点について検討を加えておる段階でございます。